すべての企業は、経営を成功に導くために、見える問題だけでなく、見えない問題まで考慮すべきです。同様に、私たちの魂の救いの経営を成功に導くためには見える問題だけではなく、天地創造の時から隠されていた秘密を悟らなければなりません。聖書は、この秘密が天の母だと知らせており、また「天の母を受け入れればこそ救いに至ることができる」という明るい道を提示しています。
経営の成功原則
経営学は、成果を得るために使用される一般的な真理に関する秩序整然として体系化された知識の集合です。従って、すべての企業の経営者は成果を得るために、さらに効果的で効率的な目標を立ててこれを成就しようと努力します。このような経営目標は、企業設立理念に従って変わることもあり、目標に従って成功原則を樹立することができます。
企業が成功するためには企業が抱えている問題点を悟り、これを解決可能な問題と認識しなければなりません。企業が抱えている問題を解決するために、次の三種類が必要なのですが、まず一つ目、目標がなければなりません。二つ目、障害物があるということを念頭に置いておかなければなりません。三つ目、このような問題を解決しようとする意志がなければなりません。
このような原則に即して、企業は直面している問題を適切に解決することになるのですが、すべての問題には二つの要因があるということを考慮しなければなりません。まさに、私たちの周りに存在する一般的な要因、すなわち知られている要因と知られていない要因を考慮しなければなりません。
経営の成功と失敗
経営において犯す一般的な過ちは、単に、知られていたり、ちらっと見て存在するように見える要因だけを考慮して意思決定を下すことです。しかし、正しい解決策を提供するためには、隠されている要因や過ちを知るために、あらゆる努力を傾ける必要があります。
これは、企業が彼らの最終顧客すなわち、消費者の好みが何かを知るために、あらゆる努力を傾ける必要があることを意味します。もし、企業がまともに努力をせず消費者の趣向を知らないまま製品を提供したら、消費者の不満につながります。
企業が悩み努力した最終製品を消費者が受け取り、十分に満足すること。これが「経営の成功」であり、この仕事を導いていく人が偉大な経営者だと言えます。
救いのための信仰の経営
聖書では私たちが信仰生活をするにおいて、私たちの魂を成功に導く、すなわち「魂の救い」に導く偉大な経営者が存在なさることを知らせています。
神は御言葉をあなたがたに余す所なく伝えるという務めをわたしにお与えになり、この務めのために、わたしは教会に仕える者となりました。
コロ 1:25
神様は御自ら私たちの魂の救いを経営しておられます。このため、神様は御自分の働き手を道具として使われます。働き手たちは、神様が私たちの救いを経営しておられる方であることを悟って、キリストの律法と新しい契約の経営を通して救いを伝える者たちです。彼らは全人類が難関に直面していることを切実に感じ、これを解決するために、知られている要素と知られていない要素、すべてを検討しなければなりません。
また、働き手たちは何が障害要素であるのか認識すべきなのですが、障害要素はまさに神様を知らないことです。そして、魂の救いという目標があるべきであり、直面している魂の問題を解決するための意志がなければなりません。この意志は救いを追い求め神様を知るために、必ず必要な悔い改めに至らせます。このような原則を知って、人類が難関に直面していることを自覚した時、その問題は解決することが可能なのです。
聖書に隠された秘密を知ってはじめて魂の救いの経営が成功する
神様の働き手である私たちが魂の救いのために直面した問題を認識していて、この問題は解決可能であることを認識していたら、終わりに隠された秘密を探すべきです。隠された秘密を知らなかったら「魂の救いの経営」を失敗に導くしかないからです。
イエスはこれらのことを皆、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。…
天地創造の時から隠されていたことを告げる。…
マタ13:34-35
天地創造について語る聖書の本は「創世記」です。したがって「創世記」を通して、私たちは実際の問題を認識し、私たちの魂の救いの解決策を探すための隠された秘密を発見することができます。
創世記に隠された魂の救いの秘密
神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう…
創1:26
一般的に、キリスト教徒たちは神様のことを天におられる唯一の主権者であると教えます。彼らは知られていない側面を考慮せず、単に彼らが持っている知識と目の前に見えるものだけを認識して、こんな大きな問題について断片的な回答を提示しています。しかし、聖書は、何か隠された秘密があることを示しています。創世記1章26節に記録された「我々」という言葉がその秘密の核心です。
我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう…
創1:26
また、次の節には「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された」と記録されています。
神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。
創1:27
神様の姿どおりに人を造った時、男の姿と女の姿が現れたということは、神様の姿にも男性の姿と女性の姿があるということではありませんか?この部分がまさに、神学者たちが今日まで解くことができないでいる隠された秘密なのです。
人類は単に男性の姿の神様だけを知っているのであり、その方を父なる神様と呼んでいます。それなら、女性の姿の神様を私たちは何と呼ぶべきでしょうか?「母なる神様」です。
私たちは母なる神様の存在を知ることで、問題に対する100%の知識を持てるようになりました。父なる神様という知られている要素だけを考慮して50%に相当する決定を下さずに、世の初めから代々にわたって隠されていた母なる神様の存在、すなわち残りの50%に該当する要素も考慮して決定を下しましょう。 問題の100%、真実を知ることで、私たちはようやく問題の解決策を提示することができます。
聖書が証しする母なる神様
ヘブライ語の原語聖書には「エロヒム」という単語が2,500回以上記録されています。「エロヒム」は、神様を指す「エル」または「エロアフ」の複数形なので、神様はお二人以上存在されなければならないのですが、今まで調べたとおり、エロヒム神様は父なる神様と母なる神様を意味します。
エロヒム=神様+神様
これを裏づけることのできる聖書の節をもう少し調べてみることにします。ヨハネの黙示録19章7節に出てくる小羊の妻は秘密だったので、一般の教会では今まで小羊の妻を教会だと言っています。ところで、小羊の妻が果たして教会を意味するのでしょうか?
わたしたちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう。
小羊の婚礼の日が来て、花嫁は用意を整えた。
黙 19:7
ここで私たちは明確に三種類の登場人物を見ることができます。一番目は喜ぶ群れ、二番目は小羊、三番目は小羊の妻です。喜ぶ群れは聖徒たち(教会)なので、小羊の妻はまた他の方です。果たして、小羊の妻は誰でしょうか?
…小羊の妻である花嫁を見せてあげよう…
聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、天から下って来るのを見せた。
黙 21:9-10
ヨハネの黙示録21章9-10節で小羊の妻はエルサレムと呼ばれる聖なる都と表現されています。使徒パウロは、第三の天にまで引き上げられた者として、恐れることなく堂々と、天から下って来る聖なる都エルサレムは私たちの母だと証ししました。
のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これはわたしたちの母です。
ガラ 4:26
母なる神様は、終わりの時代に小羊であられる父なる神様(“霊”、聖霊)と一緒に命の水を下さるために、この地に来られました。
“霊”と花嫁とが言う 命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。
黙 22:17
誰でも魂の救いを得ることを望まれる方は、必ず私たちの魂の経営者であられる父なる神様と母なる神様に会わなければなりません。
救いの経営のためのマスターキー、母
今まで調べたように、魂の救いのためのマスターキーは、まさに母なる神様です。母なる神様を悟って母なる神様を知ることで、私たちは創世記からヨハネによる黙示録に至るまで、聖書に記録されたすべての秘密を解くことができます。
このすべての秘密は明らかになり、私たちは人類が直面している魂の問題の現況について完全に悟りました。また私たちは、このような魂の問題を解決することができる鍵が何なのかも発見しました。今は、すべての人類が霊的に直面したこの大きな問題を解決できる解決策、つまり天の母に会うことだけが残りました。
神様を知ることに力を尽くそう!
企業経営において顧客が何を考え、何を感じ、何が好きなのか完全に知って、その顧客を満足させるために、企業の一人一人がすべての努力を傾けるのと同様に、私たちの魂の救いのために、私たちは神様を悟って知るために、あらゆる努力を傾けなければなりません。
ホセア書では神様を知らなければ滅びると知らせています。したがって、私たちは神様を知ることに力を尽くさなければなりません。父なる神様だけでなく、世々に隠されてきた秘密である私たちの天の母について知らなければなりません。私たちの魂の経営の成功、すなわち、魂の救いを願うなら、必ず天の母に出会うべきです。
ですから、すべての人々は魂の救いを受けられるように、天の母に会うことができる教会に行かなければなりません。どこの教会が天の母を知り、信じていますか?神様の教会です。
したがって、全ての人が神様の教会に来て、父なる神様だけでなく、世の初めから代々にわたって隠されていた秘密であられる天の母を知ることに努力して下さい。そして、魂の救いを受けましょう。
ありがとうございました。