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歴史学的観点から見た母なる神様の存在の必然性

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ABOUT THE SPEAKER
カルロス・グティエレス
ペルー・リマ サンチェス カリオン国立 大学歴史学教授
ペルー

世界の多くの文化は自然と命の起源が母親にあると信じて、母を女神に仕立てて仕えました。歴史的、社会的研究結果によると、彼らは心理的安定を母から求めていました。私たちは皆、母を見つける先天的感情を持って生まれます。また、私たちは、母から提供される精神的、肉体的栄養分を必要とします。

「母」を信仰した古代文化

歴史はまさに科学です。科学は秩序、階層化、体系化で結合している知識の集合体であり、このような知識を通して、私たちは、科学を立証できます。過去の歴史を調べてみれば、今日まで多くの古代文化が母に対する強烈な信仰を持っていたことが確認できます。

古くから古代文化は「母」を命と創造の原理、生命体に命をくださった方、命の豊かさと命の源だとみなしました。ですから、カルデア – アッシリア、エジプト、インド、中国、ギリシア、ローマのような世界の多くの文化は、自然と命の起源が母にあると信じてきました。

南アメリカのインカ文化を例に挙げれば、インカ人はパチャママと呼ばれる女神に仕えていたのですが、この女神は、ママパチャ(mama pacha)またはパチャママ(pacha mama)と呼ばれ、その名は大地の母という意味で、彼女を命の源として信じてきました。それなら、彼らはなぜ母を作って仕えたのか、また、母を通じて何を得たかったのでしょうか?

人類はなぜ母を必要とするか?

歴史的、社会的研究結果によると、彼らは心理的安定を求めていました。霊的安定は、心理的安定をもたらし、心理的安定は、肉体的安定をもたらします。これは、社会の発展にまで影響を及ぼし、同時に政治的発展と経済的発展にまでつながります。

精神的、心理的、肉体的安定は、社会の発展に大きく寄与します。このすべてが、本質的には母から出てきます。心理学は、母の存在が人類にとって本能的に必要な存在であることを確認させてくれます。

つまり、私たちは皆、母を求める先天的感情を持って生まれます。そして、母が下さる愛と保護の中にいようとする本性があります。また、私たちは母から提供される精神的、肉体的養分を必要とします。

先に述べたように、過去の多くの文化が心理的、肉体的安定を得るために、母の条件を満たしている女性的な像を作って仕え、それらを神聖視して女神として仕えてきました。

カトリックのマリアは母なる神様ではない

このような心理を利用して、女神を作った教会がまさにカトリックです。カトリックは何の反応もしないおとめマリアの像を立てておいて、その前で敬拝させます。聖書の観点から見ると、マリアは神様が贖いの御業を成し遂げるために選ばれた人間に過ぎません。しかしながら、カトリックは一介の被造物に過ぎないマリアを神聖視して、依り頼む対象に格上げさせました。

彼らは本能的に、人類が必要とする愛と情緒的安定、平和、霊的な糧、慈愛をマリアから見つけられると思っています。また、マリアをこの地で最も高い存在として考え、天でも神様よりも高い位置にあるとまで信じています。

しかし、マリアは、神様の創造物であり、創造物が創造主よりも高くなることはできません。科学を信じている人々にも、これは非論理的です。そのため、多くの科学者たちは、マリアを母なる神様として受け入れません。マリアは、預言にそって神様が任された仕事を成した人間であるに過ぎず、母なる神様ではありません。

偶然起こることはありません。偶然ではないなら、マリアを神聖視して、神様として推戴するこんな人々が生まれた原因は何でしょうか?原因は、原因の始まりである源、起源、発生時点があります。これに対する答えとして、次のような質問をしてみます。果たして、霊の母は存在するのでしょうか?

科学的観点から見た母なる神様

科学の論理的観点から先に調べてみます。多くの科学者たちは、父がいたら、必ず母も存在すると言います。なぜなら、子供がいなければ、父と呼ばれることがなく、また子供が存在するなら、母が存在するのが当然の論理です。そのため、論理を語る科学者たちは、「父がいたら、必ず母が存在する」と言います。

また、科学者たちが説明してくれる自然を眺めてみても、すべて生きている生命体には母親がいます。人も、動物も、魚も、植物さえも、すべて母を通して命を得ます。それで、どんなに疑い深い科学者たちも雌雄ー有性生殖細胞を否定しません。

また、男性と女性は、身体的、生理的な側面と、心理的な面でも顕著に異なります。神経科学は、男性と女性の間には、かなり大きな違いがあることをよく示してくれています。

その例として、人の脳を見ると、まず、女性の左脳と右脳は、互いに近くに引っ付いているが、男性の左脳と右脳は、より離れています。そのため、左脳と右脳をつなぐ脳梁も女性の方がより流動性が大きいです。女性は本を読んで、男性のように要点をうまく言えませんが、詳細な描写が上手です。結論として、男性と女性のうち、女性がより速く学びます。

一部の科学者たちは、この時代に人類が絶滅の危機にさらされれば、男性よりも女性の生存能力がはるかに高いと言います。このようなことは、単なる偶然から始まったものではありません。明らかに、ある予定された内容の一部です。

聖書の観点から見た母なる神様

創世記1章26節と27節を見れば、神は「我々に似せて、人を造ろう」と言われた表現が出てきます。

神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。…
創 1:26

神様はいつも「我が」という単数ではなく、複数により仰せになりました。この御言葉から私たちは確実に母なる神様が存在するということが分かります。ヨハネの黙示録22章17節では、命の水を下さる方が聖霊の神様と花嫁、お二人として記録されています。

“霊”と花嫁とが言う。「来てください」…命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。
黙22:17

「~と」という接続詞によっても、一人を指しているのではなく、別の誰かがいるということが分かります。つまり、この御言葉は、父なる神様が一人で命の水をくださるのではなく、花嫁と一緒に登場されて、命の水をお許しくださるということです。

聖書に証しされた私たちの父、私たちの母

イエス様が私たちに、終わりの日に再び生かしてくださって、永遠の命をくださると言われました。その時代に命の水を下さりたいと思われ、そうなさることもできましたが、イエス様は命の水を下さる御業を終わりの日までお待ちになりました。その理由は、命の水を一緒に下さる母なる神様が終わりの日に登場なさるからです。ヨハネの黙示録21章9-11節を見れば、小羊の妻が記録されています。

…小羊の妻である花嫁を見せてあげよう…聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、天から下って来るのを見せた。
黙 21:9–10

ガラテヤの信徒への手紙4章26節では、天のエルサレムと言いましたが、その方を「わたしたちの母」と言いました。

他方、天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これはわたしたちの母です。
ガラ 4:26

聖書を調べると、マタイによる福音書に記録されたように、イエス様は2千年前、この地に来られて神様を父と呼びなさいと教えてくださいました。また、ガラテヤの信徒への手紙では私たちに、母もおられるということを言及しています。

天におられるわたしたちの父よ… —> 父なる神様
マタ 6:9

天のエルサレムは、自由な身の女であり、これはわたしたちの母です。 —> 母なる神様
ガラ 4:26

のように、聖書は確かに、父なる神様の存在だけ証ししたのではなく、母なる神様の存在も証ししました。天の母を信じる信仰は偶然ではありません。天の母は確かに存在され、私たちの心の中にいつもおられ、私たちの心の深い部分まで観察され、私たちの心を司られ、私たちの人生の中におられ、私たちの魂は母を見分けます。

母は御自ら救いの御業を成し遂げられるために聖書の預言にしたがって、人の姿で臨まれ、この終わりの時代に、私たちに命の水をくださっています。

天の母、感謝いたします。

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