大宇宙の命の源である天の母

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ABOUT THE SPEAKER
オーガスト・クルーシ
エアロジェット・ロケットダイン社(アメ リカ航空会社) ロケットエンジン推進 システム開発及び生産首席エンジニア
アメリカ

多くの人々は「命の源は地球にはなく、宇宙にあるはずだ」と思っています。しかし、宇宙でさえも命の源は発見することはできませんでした。

果たして、私たちはどこで命の源を発見することができるでしょうか?この問題について、科学と聖書を通して詳しく調べてみます。

人々は聖書よりも科学をより信頼する

人々は、聖書よりも科学をより信頼しています。科学を通して、私たちは命の誕生の過程をよりやさしく理解できるようになりました。しかし、科学を知れば知るほど、少しずつ疑問が生じます。 命の源は何だろうか?命の源はどこにあるのか?

実際、多くの人々は宇宙から命が来るのだと思っています。なぜなら、人間は地球で命を創造することができないからです。 数多くの分野の人々がいろいろと試みましたが、何も創造することはできませんでした。それで、命は宇宙のどこからか来たのではないかと考えるようになったのです。

例を挙げてみます。木についている葉は、一日も欠かさず毎日、私たち人間にはできないことをします。大気中の二酸化炭素の分子を取り出すことです。二酸化炭素は非常に安定した物質なので、炭素原子は絶対に自分の酸素二つを奪われないようにします。しかし、私たちが「光合成」と呼ぶ過程では、特別な酵素が関係するのですが、このスライドでご覧のように「ルビスコ」または「リブロース1,5-ビスリン酸カルボキシラーゼ/オキシゲナーゼ」という特別な酵素が関係します。

炭素固定は、簡単に見えますが、非常に複雑な過程です。この過程を可能にする酵素がなかったら、光合成は起こりません。人間は絶対に、二酸化炭素から炭素を分離させ、有機分子を作って使用することはできません。 私たちは決して、物質世界の重要な(または必須的な)過程を真似ることはできません。

宇宙に他の命の源があるのか?

人間を万物の霊長だとは言いますが、実際には、人間は何一つ新しく創造することができない、微々たる存在です。それでは、宇宙に目を向けた科学者たちは、あれほどまでに探していた「知的生命体」を宇宙で見つけることができましたか?宇宙に他の命の源があったでしょうか?今まで注いできた努力では、何も発見することができませんでした。なぜなら、命の源は宇宙に存在しないからです。

私たちは命の真の源を理解するべきです。これが神様の御心です。

命に記録された驚くべき科学的事実

聖書の前半には、私たちが20世紀になるまで理解できなかった科学的な事実が記録されています。神様が聖書に科学的な事実を記しておかれた理由は、私たちに「聖書は神様の確実な御言葉 」だということを悟らせてくださるためです。聖書は科学よりも先に進んでいて完璧です。

たとえば、紀元前950年ごろ記録された、コヘレトの言葉1章には、次のような記録があります。

風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き風はただ巡りつつ、吹き続ける。
コヘ1:6

これはジェット気流に対する完璧な描写です。ジェット気流は気象に大きな影響を与えます。しかし、ソロモン王の時代に、これがジェット気流であることを理解したでしょうか?これは衛星を持つようになり、高空飛行が可能になった20世紀後半になって、ようやく理解した内容です。

また、ヨブ記には地球が空虚につるされたと記録されています。

…大地を空虚の上につるされた。
ヨブ26:7

今は、小学生も衛星写真を通して、それが事実であることを知っています。しかし16、17世紀にアイザック・ニュートンが数学の一分野を確立するまでは、これは理解しがたい内容でした。当時、地球に住んでいた人々のうちで、誰一人、宇宙に対する概念がありませんでした。

宇宙に対する概念がなかった時、神様は既にこの事実を知らせて下さり、聖書に記録して下さいました。ヨブ記26章の記録は、またどうでしょうか?

神は北の天を空間に張り…
ヨブ26:7(口語訳)

1981年に天文学者はビッグバン理論に従って、北側の空に多くの星がなければならないと記録しました。しかし、そこになぜ星がないのか分からないと言いました。しかし、そのことは神様によって、聖書に既に記録されていました。それから、ヨブ記28章も調べてみます。

食物を生み出す大地も 下は火のように沸き返っている。
ヨブ28:5

ヨブは旅をしてきて「300年ごとに灰と火を噴く山がある」というような話をしたのではありません。ヨブは 当時、地球全体に対する記録をしたのであり、 私たちは地球科学を通して、これが事実であることを 知っています。

私たちはどこで命の源を見つけることができるのか?

聖書は事実であり、科学的で、神様の確実な御言葉です。宇宙で探すことができなかった答えを聖書は提示します。今、私たちは命の源を聖書で探すべき当為性を見つけました。

私たちは聖書を研究するべきです。もちろん、私たちは神様と意思疎通するために祈らなければなりません。そして創造されたものを見るべきです。

この地上の創造物には、数百万種の生命体がありますが、それらはすべて女性、つまり母を通して命を得ます。母親を通して命を得るようにされた神様の御心は、なんでしょうか?

母の愛がない命は意味がない。

私は科学と医学、商業と歴史、そして人生に対する多くの知識を得る祝福を受けました。しかし、博士号も、CEOとしての経歴も、私が得たすべての科学的な知識も、私の人生の真の意味を教えてくれはしませんでした。 私が受けた最も貴重な贈り物は、天の母の愛を悟るようになったことです。 母の愛がない命は意味がありません。

命を誕生させる瞬間、女性は母親になります。そして、母と子の間に目に見えない絆が形成されます。この絆は他のどんなものとも比べものになりません。母の愛は忍耐強いです。母の愛は情け深く親切です。母の愛は教えることであり、激励することです。母の愛は限界がありません。母の愛は犠牲です。母の愛は、子供が母親に付いて行っているという、極めて小さなことにも喜びます。

真の命の源、母

私たちにとって重要な命は、魂の命です。天の母は契約の箱であり、至聖所であられます。また、知恵の源であり全宇宙で最も大きな愛です。

私はかつて、私が科学者であることを誇りに思っていました。多くの知識を得たからです。しかし実際のところは、私は罪と死の暗闇の世界でさ迷っていました。天の母よ、私は再び幼子です。母の愛らしい忠実な息子です。私は私の父を見つけました。その方は私の救い主・安商洪神様です。そして、私は今、母を知っています。私は今、天の母がおられることを知っています。母の愛を悟りました。母よ、あなたは全宇宙における極めて貴重な宝であり、完璧な愛であられます。母は真の命の源であられます。私は母の子と呼ばれることを、大変誇りに思います。

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